電動車いす

探し求めた理想の電動車いすが
行動範囲も楽しみも広げてくれた

電動車椅子歴15年|松山さま

希望に合った電動車いすを求めて

私は、10歳の頃から体の具合が徐々に悪化し、22歳の時に歩くことが困難になりました。また、手も不自由だったため手動の車いすを動かすのが大変になり、電動車いすを検討することにしました。
私は車いすに乗っていると、体が前方へ倒れていってしまい、自分で体勢を建て直すのに苦労するため、ティルト・リクライニング式の電動車いすを探していました。しかし、当時は数も少なく、見つけても重くて自宅に入れられないなど、悩みを抱えていました。
そんな時に、電動車いすユーザーの方に紹介してもらったのが今仙技研さんでした。すぐに相談したところ、軽量で必要な機能を備えた電動車いすを実現してくれたのです。

外出のストレスが軽減し、買い物も楽しみに

新しい電動車いすが来てからは、生活が一変しました。ティルト・リクライニング機能のおかげで、体勢が崩れた際も体を戻しやすく、長時間乗っていることができます。さらに、足を乗せる部分が電動で上がってむくみを防止できたり、背もたれに入れたクッションが体を支えてくれたりと、快適性も高まりました。
何よりありがたかったのは、本体重量を50kgほどに抑えてもらえたこと。これまではバスや福祉タクシーに乗る際に、運転手さんに重い車いすを乗せてもらうのが申し訳なく、介助を頼みづらかったのですが、軽量化されたことで声をかけやすくなりました。横幅も50㎝とコンパクトなので、介助犬を連れながらでも店の中を移動しやすくなり、行動範囲も広がっています。

在宅勤務で福祉に関わる仕事に従事

私は福祉大学を卒業し、その知識をいかして福祉の仕事に関わりたいと思っていましたが、車いす生活でできる仕事になかなか出会うことができませんでした。しかし、現在は友人の紹介を受けて、在宅勤務で介護や障がい者支援、保育などの施設運営を支援する会社の事務をしています。
この会社には、私以外にも重度の障がいをもつ従業員が多く所属。それぞれ通院やヘルパー訪問などの時間に合わせて働いています。私も毎日、介助犬の散歩をするため、昼間に2時間の休憩をもらっているのですが、今仙技研さんの電動車いすにしてからは、散歩にもスムーズに出られ、休憩時間内に無理なく帰ってくることができています。

介助犬を知ってもらう啓発活動

介助犬に関わってから10年以上、福祉機器の展示会などで行われる介助犬の啓発活動に参加しています。活動は日本各地で行われ、長時間電動車いすに乗って遠出ができるようになってからは、全国を飛び回っています。
また、私が住む各務原市内の小学校でも、福祉教育の一環で講演会を行っています。子どもたちの中には、車いすに興味をもってくれる子もいて、「同じ各務原市にある今仙技研さんという会社でつくっているんだよ」と伝えると、「知らなかった!」と目を輝かせます。こうしたことがきっかけで、障がいをもつ人が困っていた時に声をかけてくれたり、将来、福祉の仕事が選択肢の1つになったりしたら、うれしいなと思います。

この電動車いすで陸上大会に出場したい

今の目標は、以前に続けていた陸上の大会にこの電動車いすで参加することです。私は体を動かすことが好きで、電動車いすを使った「スラローム競技」と「ビーンバッグ投げ」という競技に取り組んでいます。コロナ禍によって大会は中止されてしまいましたが、再開した際にはせび出場したいと思っており、今後はボッチャにも挑戦していきたいと思っております。

本当に必要な人が使えるよう、思いやりを

電動車いすのおかげで外出の負担は軽減しましたが、車いすユーザーにとってエレベーターやバリアフリートイレの待ち時間が長かったり、車いす対応の広い駐車場が空いていなかったりすることが、外出中の大きなストレスになります。私は、各務原市役所の庁舎が建て替えられる際、エレベーターやトイレ、駐車場に対する意見を伝えたところ、その声が受け入れられて、車いす用のトイレや駐車スペースを設けてもらいました。一般の方にとってもこうしたスペースは便利だと思いますが、本当に必要としている人がいることを考えて、使用していただきたいと思います。

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今仙技研の電動車椅子は
私と社会を結ぶ大切な足

先天性四肢欠損|電動車椅子歴32年|水野さま

17歳で知った外の世界

私には生まれつき四肢がありません。ですから17歳までほとんど家の中で過ごしていました。話し相手は家族だけ。とりたてて話題にするような出来事もなく、淡々とした変化のない毎日でした。
ものごころついてからというもの、私はずっと外の世界に憧れていました。「なんとかして外に出たい。外の世界を知りたい」という欲求が次第に高まり、17歳の時、とうとう乳母車に乗って一寸法師のように長い棒を櫂のように操りながら、家の周りを散歩するようになったのです。
目に映るさまざまな景色、肌に触れる空気、街の雑踏…何もかもがとても新鮮でした。

電動車いすで憧れのショッピングセンターへ

ある日、いつものように乳母車に乗って散歩していると、近所に仕事に来ていた方が声をかけてくれました。「私の弟も障がい者でうちに電動の車いすがある。よかったら来て乗ってみないか?」。私はその方の弟さんの家に行き、生まれて初めて簡易タイプのような電動車いすに試乗したのです。
その後、福祉サービスや制度についていろいろ教えてもらいながら、車いすを使える能力があるかどうか診断を受け、電動車いすを支給されました。
電動車いすで初めて行った場所は、ずっと行ってみたかった近所でも大きなショッピングセンター。乳母車では家の周囲を移動するのが精いっぱいで、踏切や国道を横切る自信はありませんでした。「到底、無理!!」とあきらめていただけに、とてもうれしかったです。

安定して故障のない今仙技研の電動車いす

乳母車から電動車いすに乗り換えたことで、余計な体力を使わなくなったせいか、体重が10kgも増えました。その時初めて試乗した電動車いすは、前タイヤがすぐにクルクルと回って安定感がないなどの動作に不安がありました。そこで、「もっと良い電動車いすがあるよ」と、今仙技研さんの製品を紹介されたのです。今仙技研さんのものは、初めて乗った時から体の一部のような安定感があり、私はすっかり虜になりました。扱い方もとても簡単で、すぐにスイスイ乗れるようになりました。
今仙技研さんの電動車いすに乗るようになって今年で32年目ですが、故障したことは一度もありません。長時間安心して乗れるので、とても満足しています。たまに電車に乗って名古屋へ食事に行くこともあり、ますます行動範囲が広がり、楽しみも増えました。

川で魚釣りを楽しむ

外出が好きな私は、冬の時期を除いて毎日朝9時半ごろに家を出ると午後3時ごろまで戻りません。買い物に行ったり、喫茶店で友だちと話をするのがとても楽しみなのです。
趣味は釣り。乳母車時代に釣りをしている人を見かけて、これなら自分にもできそうだと思い、見よう見まねでやり始めたらハマってしまい50年になります。近くの川には段差のないスロープがあり、そこを降りた所がポイント。電動車いすなので、楽々行き来できます。
獲物はもっぱらヘラブナですが、たまに大物が釣れることも。長さ67cmのマダカ(スズキの幼魚)がこれまでの最高です。

できないと思ってあきらめず、何事もチャレンジ

社会福祉協議会からの依頼で、30年前から小中学校の子どもたちの前で自分の生い立ちや障がいについて話をさせて頂いています。中には話を聞いて泣き出したり、後で感想をくれる子もいますし、子どものころに話を聞いた人が、「水野さんのお話を聞いてよかった」とおっしゃってくださることもあります。私の話が皆さんの心に届いたと思うと、とてもうれしいですね。
障がい者になる可能性はだれにでもあるものです。でも、そうなったとしても人生をあきらめず、チャレンジすることを忘れないでほしいです。

とても危険!! 歩きスマホはやめて!

スマホの普及とともに歩きスマホによる事故が多くなり、社会問題になっています。電動車いすユーザーにとっても、歩きスマホはとても危険。スマホの操作に夢中で、私が前にいても全く気づかず、ぶつかりそうになったことが何度もあります。歩きスマホは絶対にやめていただきたいです。

電動車いすで手に入れた
広い世界と自立生活

脳性マヒ/電動車いす歴30年/小島さま

7年前に自立し、週4日は事業所に勤務

7年前、実家を出てアパートで一人暮らしを始めました。火曜日から金曜日までの週4日は障害福祉サービス事業所に通勤。朝は6時30分にヘルパーさんが来てくれて、ご飯を食べて身支度を整えたら、7時50分に電動車いすに乗って一人で最寄りの駅に向かい、電車に乗ります。降車駅から事業所まではバスの送迎があります。
長年、電車を利用しているので、駅員さんたちとも友だちになりました。私が乗車する時間に合わせて、車いすごと電車に乗れるようにスロープを用意してくださるので、ありがたいです。

障害福祉サービス事業所でリサイクル班の班長を務める

事業所には電線班・リサイクル班・軍手班・千秋センター班・PSセンター班があり、私はリサイクル班の班長をしています。リサイクル班は施設の中心事業を担っており、空き缶、空きビンなどの廃棄物を独自のリサイクルシステムで選別、圧縮作業を行って資源業者に納品します。
勤務は9時30分から16時30分までで、途中に30分から1時間程度、数回に分けて休憩するようにしています。私の仕事は、モニターを見ながら機械を操作してスチール缶を圧縮する作業。班員は10人で、それぞれに役割がありますが、だれかが休んだ場合には私が代わりを務めることもあります。自分の分担だけでなく、作業全体の流れを見なければならないので大変ですが、責任とやりがいを感じています。

電動車いすで行きたい所に行ける楽しみ

私は1歳半で脳性マヒになりました。脱腸の手術の際、40度の高熱が出て、それが1カ月ほど続き、右半身がけいれん。マヒと言語障害が残ったため、障がい児の施設に入所し、訓練を受けました。入所先から養護学校に通い、中学3年生の時には股関節の手術をしました。
入所中は歩行器を使っていましたが、高校2年生の時、自宅に戻ったことを機に電動車いすに乗るようになりました。電動車いすは私の行動範囲を驚くほど広げてくれました。それまでは乗れなかった電車などの公共交通機関も利用できるようになり、自分の行きたい所に行けるようになったのです。
1台目はほかのメーカーのものを使っていましたが、今仙技研さんの製品を使うようになって、より安定感が増し、快適になりました。

休みの日は買い物に行ったり、近所に散歩にでかけたりしています。肉が好きなので、ヘルパーさんと一緒に焼き肉を食べにいくこともあります。事業所の仲間と一緒にサッカーの試合観戦に行ったり、友だちとユニバーサル・スタジオ・ジャパンに遊びに行ったり、事業所の一泊旅行にも参加しています。『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』などのアニメキャラクターのイベントやショーを見にいくのも、とても楽しいです。

メンテナンスを定期的に行うことで、より安全に

定期的にバッテリーやタイヤ交換等メンテナンスを行い、大切に使用しています。
より快適にするために、スマートフォンと懐中電灯の取り付けパーツも付けました。緊急時にスマホがすぐ使えると心強いですし、懐中電灯は夜道を照らしてくれるだけでなく、点灯することで私の存在を車や自転車、歩行者に知らせてくれるので安心です。
私の生活は本当に電動車いすと共にあり、自立して暮らしていくにはなくてはならないものです。これからも元気で働きながら、楽しく暮らしていきたいですね。

義肢・装具

運動会のかけっこで1番になりたい!!

先天性脛骨欠損症|義肢歴1歳半~|城さま

幼少から義足と一緒

息子は1歳1カ月の時右足の膝部分から離断し、1歳半で初めて義足を作りました。
生後すぐに先天性脛骨欠損症と診断され、その後いくつかの病院で診察を受けて、一時は右足を残すことも検討しました。しかし、右足を残すと複数回の手術が必要になることや、痛みが出ることなど総合的に考え、離断を決断したのです。
身近に義足を使用している方もなく非常に心配していましたが、本人が何度も転びながらもリハビリを継続し、5カ月ほどして1人で立てるようになり、それからさらにひと月後、初めて自宅で私と妻の間を3歩ほど歩いてくれた時は、感動の瞬間でした。
現在、日常生活に関してはほとんど1人でできるので、特別なことはありません。
体を動かすのも大好きなので、公園に行けば野球をしたり、フリスビーで遊んだりしています。

スポーツ用義足との出会い

3歳半の時、笹川先生が主宰されているFireblades(ファイヤーブレイズ)(注1)に参加し、スポーツ用義足を付けた小学生が運動するところを見ました。
その時はまだ小さかったので、スポーツ用の義足を付けることはできませんでしたが、学校生活や日常生活の様子を聞くことができ、心配しすぎなくても大丈夫なんだと安心しました。
スポーツ用義足を初めて付けたのは、4歳3か月ぐらいの時です。
周りの方がバランスをとるのが難しいとおっしゃっていたので、いきなり歩いたり走ったりできるというのは考えていませんでしたが、息子はいきなり普通に歩き、すぐにその場でジャンプしていました。
おそらく、日常用とは異なり、バネの力でジャンプできるのが嬉しかったのだと思います。

夢は大きく

義足について、本人は今のところ特に困ることはないと言っています(私たちがフォローしすぎるのかもしれません)。
まだ膝継手がついていないので、膝折れで転んだりすることはありませんが、今後膝継手が入ると転ぶことも増えるのかなぁと少し心配しています。
今の目標は、運動会のかけっこで1番になること。その後はパラリンピックの陸上競技に出たいと言っています。私たち家族も楽しみに見守っていきたいと思います。

  • 注1)Fireblades(ファイヤーブレイズ)…熊本総合医療リハビリテーション学院講師の笹川友彦氏が代表を務める義足ユーザーのスポーツクラブで、定期的にイベントを行っている。
    「今仙技術研究所」も協賛企業に名を連ねる。

スポーツ用義足を付けて、
陸上競技に挑戦!

下肢切断|義肢歴5年|村松さま

鉄骨に足を挟んで右膝下を切断

5年前、勤務先の工場で鉄骨を組み立てていた際、あやまって鉄骨を倒し、両脚を挟みました。左脚は手術で回復しましたが、右脚は術後の経過が悪く、膝の少し上から切断しました。勤め始めて2年目のことでした。

リハビリ用の義肢を付けて歩行練習

3カ月ほど入院した後、義肢を付けてリハビリを開始。長期入院のため体力が落ちており、最初は脚を上げるだけで大汗をかき、息も絶え絶え…。倒れそうで、一歩を踏み出すのに勇気が必要でした。

自分の合った義肢でライフスタイルが変化

体力が回復してリハビリ用の義肢にも慣れたころ、自分用にカスタマイズされた義肢を付けました。義肢装具士さんに「膝の部分に電子機器(注1)が付いていて、いろいろすごいんだよ!」と何度も言われたことを覚えています。その義肢の足部が今仙技研さんの部品でした。
今は寝る時と入浴時以外は、ほぼ付けっぱなしにしていますが、痛みはほとんどありません。倒れそうになるとロックがかかるので、安心して歩くことができます。先日も家族でUSJに行き、1日中歩き回りました。性能にはとても満足しています。欲を言えば、義肢のデザインがもう少しかっこよかったらいいのにと思うことはあります(笑)。

スポーツ用義足で陸上競技に挑戦

体を動かすことが好きで、中学時代は陸上の棒高跳びをやっていました。自己ベストは3m50cmです。その経験もあって、愛知県で義肢ユーザーのスポーツ参加をサポートしている「ミットライズ」(注2)に参加するようになりました。
スポーツ用義肢は「公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会」で障がい者スポーツ支援の「スポーツ用義足贈呈事業」を行っていることを知り、応募したら、頂くことができました。スポーツ用の板バネは今仙技研さんが製造・開発されたもので、板バネの足裏に当たる部分にスパイク加工が施されています。スポーツ用は踏ん張りが効かないので初速は遅いのですが、バネがあるため、後半はスピードが出せます。パラリンピックのアスリートの100m走の最速記録は10秒57。かなり速いタイムですよね。ぼくの自己ベストは16秒90なのでまだまだですが、最初は50mで18秒だったので、かなり速くなりました。
毎週金曜日は三重県まで練習に行っています。20時スタートでストレッチした後、1時間ほど基礎練習を行い、残りの1時間で100mのタイムを計ります。普通の陸上選手と同じメニューをこなします。かなりハードです。陸上は全身の筋肉を使うため、筋力が落ちるとタイムも悪くなります。ぼくはジムに行ける時はジムで、行けない時は自宅で、常に筋トレしています。

パラリンピックに出る選手と競争したい

2018年9月、香川県高松市屋島競技場(屋島レクザムフィールド)で開催された「第29回日本パラ陸上競技選手権大会」に出場し、100mで2位になりましたが、納得のいかないタイムで不本意な結果に終わりました。1位は現役バリバリの高校生でしたが、ぼくも今23歳。まだ若いと思っているので(笑)、これからが伸び代だと思います。
2019年5月には愛知県でパラスポーツの大会があります。パラリンピックの代表選手が出場する大きな大会なので、自分がどのくらいのレベルにいるのか、一緒に走って体感したいです。陸上競技は家族も応援してくれているので、がんばりたいです。

新しい脚を付けて可能性に挑むことで毎日が楽しくなる

脚をなくしても、歩かなければ何も始まりません。脚をなくしても新しい脚を付けることができるので、どんなことでも「ちょっとやってみようかな」と思ったらやってみる。その一歩で、毎日が楽しくなると思います。

  • 注1)電子機器のついた義肢…他社製品の膝関節
  • 注2)ミットライズ…2014年に結成された、障がい者スポーツの広がりをめざす愛知県のアマチュアスポーツチーム。「松本義肢製作所」の社員が代表を務め、「今仙技術研究所」社員も参加している。
    MITRISE公式Facebookページ

義肢のおかげで、いろんな
ファッションが楽しめるように

骨肉腫|義肢歴9歳〜|吉田さま

骨肉腫により左脚を切断

8歳の時、骨肉腫のために左脚を切断しました。激しい痛みのために当時の記憶は定かではありませんが、腫瘍で脚が変形していたことは覚えています。膝の辺りに腫瘍があったのですが、病院から「足を上の方から切断すれば再発の心配がなくなる」と聞かされました。母はとても悩んで、手術を決断するまでに1年近くかかったそうです。ガンによって命の危険が迫っているとはいえ、娘が左脚を失うことは、親としてやりきれなかったのでしょう。
脚を切ったら痛みがなくなり、とても楽になりました。小学生だったので、1年間は休学して家庭教師をつけてもらって勉強し、進級しました。

さまざまな困難を乗り越えて、義肢とともに成長

義肢生活は、いろいろと大変でした。子どもだったので、どんどん身長が伸びるため、体が成長しても使えるよう、腰に巻いたベルトから義肢を吊り下げるタイプのものを使っていました。このタイプは歩く時に膝が曲がらないので、通学は大変でした。疲れるので長時間歩けないし、坂道で転んだこともありました。座る時はボタンを押すと膝が曲がるようになっていましたが、当然、自分の膝のようには動かないので不自由しました。一番困ったのがトイレです。そのころ小中学校には洋式トイレがなくて、ほとんどが和式。とても大変でした。
でも両親からは「できることは自分でしなさい」と、特別扱いをされたことはありませんでした。おかげで人に甘えることなく自立できたのだと感謝しています。

吸着式になって楽しめるようになったオシャレ

18歳の時、お世話になっている松本義肢製作所の先生から「そろそろ見た目の良い義肢に変えてはどうか」と言われ、今仙技研さんの部品が使われている吸着式タイプにしました。これは膝が動くので、慣れるまではよく転びました。
吸着式は、義肢を付けてバルブの穴から空気を抜き、間を真空状態にすることで体に密着させるものです。装着時は切断部分にベビーパウダーを付けますが、汗をかくと義肢が抜けやすくなってしまいます。また、太ったり瘦せたりして体型が変わると義肢が合わなくなるので、体重には気を付けています。
この義肢の良い点は、全体が肌に近い色のスポンジで覆われていて、より本物の脚に近いところ。腰ベルトがないので、フィット感のある洋服が着られるようになりました。ずっと履きたかったスカートや、2cmほどですがヒールのある靴を履けるなど、オシャレを楽しめることは、女性としてとてもうれしかったです。ロックバンドのコンサートに行ったり、タイトなラインの派手な服を着て、当時大人気だったディスコに行ったり、楽しいことがどんどん増えました。

20歳で就職し、現在も正社員として多忙な日々

短大卒業後は就職し、多忙な毎日。義肢は、入浴時と就寝時以外はずっと付けていますが、疲れがたまってくると時々はずすこともあります。

歩行や外出の際、身障者への配慮を

社内や家では使用しませんが、一般の道路を歩く時には歩行補助用の杖を使っています。歩行が困難なのではなく、杖を使用することで私に障がいがあることを周りに認知していただくためです。
身障者は健常者のように早く歩けないし、接触すればバランスが崩れ、すぐ転倒します。ですから杖をついて歩いている身障者を見かけたら、なるべく距離をとっていただけるとうれしいです。歩きスマホはとても危険なので、絶対にやめていただきたいです。
また、身障者用の駐車スペースに車を停めている健常者も時々見かけます。身障者用は広いので、私のようにドアを全開にしないと乗り降りしにくい者にとって、とても重宝するのです。普通の駐車場も、もう少しスペースが広いとありがたいですね。

海外旅行の際は、必ずネットで情報収集

ベトナムやグアム、ハワイなどを旅行しましたが、国によってバリアフリーに対する考え方はさまざま。義肢である私は空港の保安検査で必ずひっかかり、時には別室で身体検査を受けることも。海外旅行の際は、あらかじめ空港や観光スポットなどのセキュリティについても調べておくとよいと思います。
いつかスキューバダイビングなどもやってみたいですが、濡れると義肢が壊れてしまうのでトライできません。最近は地震や水害なども多いので、そんなとき自分はどうなるのか不安になります。水に濡れても錆びない義肢が開発されるとうれしいですね。


ニューヨークにて


ベトナムのハロン湾にて

歩行支援機 ACSIVE(アクシブ)

車いす生活から、自分の脚で歩けるように!
リハビリ感覚で海外旅行へでかけます。

66歳の時、脳出血を発症。昼寝して起きた時に右側の口手足が動かなくなっていた。声が出せない。孫からの電話で分かって、救急車で搬送。車いす生活を1年、家の周り20mしか動けない。一人で歩きたいと精力的にリハビリを行う。

長尾 秀記さま(74歳)

導入の経緯

2014年12月購入。テレビで『夢の扉+』を見て、HCRに参加。ACSIVEを試着したら軽く脚が上がったため「すげーいいなー」と感じて購入。

導入後の効果

毎月、リハビリを兼ねて旅行に行っています。ACSIVEは、使いこなさないと本当の良さが分からないと思います。バネが強いと膝が曲がって脚は上がるが、脚を地面に下ろす時に力が必要です(バネを弱くして使用)。自分で分かると調整が出来ます。
ACSIVEを付けていると長い距離が楽で安心。普通は、2~300mで諦めていました。心臓の心配をしながらですが、今は休みながら長い距離(1km)を歩けるようになりました。

ご感想

もっと歩ける。行動範囲が広がる。車いす→自分の脚で歩ける→もっと歩ける。より行動範囲が広がり、楽しいです。
海外旅行は、リハビリのつもりで行っています。階段や坂があっても行かないと仕方がない状況で訓練しています。
ACSIVEは装着感が低いので、近所に出る時、装着しているつもりで着けていないことが…。いつもより疲れるなと見てみると、忘れていたことに気が付きます。

奥様のコメント

以前は足元を見ながら歩いていました。見ていても不安でしたが、ACSIVEを使い始めて不自由な方の右脚が前に進み、歩く姿勢も良くなり、自信を持って歩いているように見えます。

歩くことで、麻痺した脚の筋力がアップ!
屋久杉を見に行くことが目標です。

54歳の時、脳出血を発症。
右半身に麻痺があります。

右半身麻痺|中武 学さま(60歳)

導入の経緯

2014年8月に放送されたテレビのドキュメンタリー番組『夢の扉+』を見て、購入しました。
58歳の時にACSIVEと出会い、現在もずっと使い続けています。

導入後の効果

使い始めた頃は、通勤でACSIVEを付けて毎日2キロの歩行をしていました。使い始めて、麻痺した方の脚に筋力がつきました。使用する前と使用して2カ月後では、太ももと膝上の一周の長さがどちらも3cmアップ。ふくらはぎは変化がありませんでした。膝が曲がることで、筋肉が付いたと思います。
使用前は麻痺側の膝が曲がらなかったのですが、ACSIVEを使うと膝が曲がり、麻痺側の脚に体重が乗せられるようになり、脚がより前に出るようになり、歩行のリズムを作れるようになりました。

ご感想

外を歩けることほど、気持ちがいいことはないと思います。ACSIVEは日常生活に欠かせないものになりました。現在は毎日、公園を歩いて訓練をしています。
今の希望は、元のように歩きたい、そして屋久島の屋久杉を見に行きたいと思っています。

3日間連続でゴルフが出来ました。

60才の時に脳梗塞を発症され右半身に麻痺があります。
サーフィン界ではレジェンドと言われているパイオニアサーファー。2年半前よりゴルフを始め、障害者ゴルフの大会にも参加されている。
(株)TED INTERNATIONAL

右半身麻痺|阿出川 輝雄さま(72歳)

ご感想

動かなかった右足が上がる。ゴルフで9ホール回っても足が疲れない。ACSIVEを使うと疲労度が違います。3日間連続でゴルフが出来ました。
座っている時に気にしなくても膝が外に開くのが抑えられ、良い姿勢になります。
立ち上がってすぐに歩き出せるので、電車から安心して降りられます。

歩行をアシストしてくれただけでなく、
人生そのものをアシストしてくれました。

27歳の時に交通事故に遭い脊椎に損傷を受ける。一生車いす生活を宣言されたが、懸命なリハビリに励み、歩けるようになりました。日本障害者ゴルフ協会(DGA)会員。

脊椎損傷|ユウスケさま(39歳)

ご感想

ACSIVEを装着していない時は、転倒しない様に常に意識をしなければならないが、ACSIVEを装着すると軽やかな一歩が踏み出せ、無意識に安定した歩行が出来ることで、気持ちが前向きになります。

ユウスケさんのACSIVEストーリー(YouTube)

その他のご使用者様の声

デパートとかに行く時にあるとラクチンに安心して出かけられます。
きちんと腰から歩いている感じがします。地面の感触がスポンジのように踏みしめる感じがしなかったが、着けると地面を踏んだ感じがして、本当に自分の脚できちんと立った感じ。脚がぶれると曲がりにくいのがなくなりました。重さは感じません。

脳梗塞|60代女性

楽に歩けます。一歩目の脚が出ます。ACSIVEがない生活は考えられません。ACSIVEがない外出は考えられません。
使用前は転んだことが何回もあるが、使用し始めてからは転んだことはありません。使用前は爪先を引きずるのでつまずいていたが、使用中は足が上がるからつまずかなくなりました。転ぶんじゃないかと身構えて、外に出歩かなくなるのが、ACSIVEを装着すると不安がなくなって外に出歩く気になります。

多発性硬化症|40代男性

使用感は、装着していないみたいに感じるほど、違和感がありません。
以前は、脚を腰で振り回して歩いていましたが、装着すると振り回しがなくなって、スムーズに脚が出ると実感しています。脳梗塞になって、正しい歩行を忘れて抜け落ちた感覚。正しい歩行を思い出すのに、ACSIVEが役に立っています。

脳梗塞|70代男性

すり足でつまずいていたが、ACSIVEを着けると膝が上がります。屋外に出る時は、ないと不自由で困る物になっています。

脊柱管狭窄症|80代男性

  • 効果の感じ方には個人差があります。
  • ACSIVEは医療機器ではありません。

移動支援機器

好きな所へ、自分の興味へ

筋ジストロフィー|1歳代~|濱田 奈那さま

1日の使用頻度

朝、起きて学校に行くまでに10分~15分程度乗り、学校から帰って入浴・食事を済ませてから30分程度、毎日乗っています。

BabyLocoを知った経緯

娘が1歳代(2013年)の頃、高知県内で実施された研修会でびわこ学園高塩純一先生のお話を聞き、(当時は市販されておらず)電動で動く機器を研究していることを知りました。

使用したいと思った経緯

娘が小さい頃に通っていたリハビリでは、関節の拘縮などを防ぐための動きを受動的にすることがメインで、娘にとって「できないこと」を突き付けられるような感じでした。リハビリの先生からも「お母さん、ここ(関節)が固まってきていますね」とか「こういう動作ができませんね」などの言葉がけをされることによって、私は母として「元気な体に生んであげられなくて申し訳ない」という気持ちになっていました。子どもにとっても、目の前にあるおもちゃに手を伸ばして「もうちょっと頑張ろう」と可動域を広げる努力をし続ける感じでした。苦痛もあったようで、リハビリの場面で泣き出すこともあり、徐々にリハビリから足が遠のき始めた頃に、高塩先生らの研究に出会いました。
子ども自身ができるように環境を整えることで、「自分でできた」という嬉しい気持ちが次の行動をしたいという気持ちや自己肯定感の向上につながり、知的な面や社会性の向上につながっていくという思いがあり、使用してみたいと思うようになりました。

使用前の子どもの様子

筋ジストロフィーという病気のため、一人でのお座りやハイハイ、立位はできません。
一人でいると仰向きに寝ている、親が抱っこや椅子に座らせてあげる、ベビーカーで親が介助して進むといった様子でした。
自ら何かの行動をとるのが難しいため、(娘自身にとっては)受動的なことが多かったと思います。

使用した後の子どもの様子、生活の変化

初めて使用した時は、初めは不思議そうな表情をしました。でも、すぐに押したら進む、押すのをやめると止まるということが理解できたのか、人の近くまで行くと押すのをやめて、全身をユラユラさせて「嬉しい」という感情を表現していました。目がキラキラ輝いてとても楽しそうでした。そして、その後、指さし、共同注視(ジョイントアテンション※)が始まりました。

また、親の私は、それまでは公園に行くのが嫌だったのですが(歩けるお子さんを見るだけで涙がでてきたりしていた)、公園にBabyLocoを持って行って乗ることで、他のお子さん方が近寄って声をかけてきたりと、私自身も前向きな気持ちになってきました。

※ジョイントアテンションとは、子どもが何かを指さして、その直後に近くにいる親などに向かって「あれ、見て!」と共有する行動でコミュニケーションの原点ともいえる。

良かった点・気になった点

良かった点としては、とにかくまずは「娘が楽しそう・嬉しそう」が一番です。BabyLocoが無いと、親を動かせるため、自分に興味を引きたいが為に大声で叫んだりするのですが、BabyLocoに乗る時間を1日のうちで、きちんと確保してあげると、毎日、充足した表情で眠りに入ることができます。

困ったこととしては、私たち両親(大人)の時間がBabyLocoに取られてしまうこと。やはり、一人でさせるのは、危ない場面もあったりするので、常に「見守り」は大事だと思います。そういう意味では、娘のBabyLocoに付き合う時間を毎日確保しないといけません。
実際に、娘は様々な挑戦をしたがるので、背丈ぎりぎりのテーブルの下にBabyLocoで潜り込もうとしたり、玄関から出ていこうとしたり、好奇心旺盛なことは嬉しいのですが、危ない場面では親が止める必要もでてきます。

BabyLocoの利用を検討している方々へのメッセージ

障がいのあるお子さんの親御さんなどへ
座位保持やスイッチの種類については、身近なリハ関係者などに相談をしっかりされるのが良いと思います。また、福祉機器展や体験会などで、もしも体験できるようであれば、体験をしてみることをお勧めします。私も娘が1歳代だった頃、高塩先生に対して「素敵な研究ですが、うちの娘は座位もとれないし、知的な障害もあるので、きっとまだ難しいです」と最初はお話ししました。でも、物は試しでやってみると、思った以上の反応を娘が表出してくれて驚きました。最初から諦めず、体験してみるといいと思います。

事業所などの方々へ
ぜひ、購入をお願いします。上記したように、当事者の方々は、インターネット上などでBabyLocoを見かけても、「うちの子は無理」と諦めてしまっている方も多くいるのではないかと思います。また、家庭の環境によっては、きょうだい児がいたりしてBabyLocoを家でできない環境の方もいらっしゃるかと思います。まずは支援者の方々にこのような機器を知っていただき、障がいのある子の可能性を少しでも伸ばしていただけるような環境を作っていただければと思います。

BabyLocoの詳細はこちら