電動車いす

今仙技研の電動車椅子は
私と社会を結ぶ大切な足

先天性四肢欠損|電動車椅子歴32年|水野さま

17歳で知った外の世界

私には生まれつき四肢がありません。ですから17歳までほとんど家の中で過ごしていました。話し相手は家族だけ。とりたてて話題にするような出来事もなく、淡々とした変化のない毎日でした。
ものごころついてからというもの、私はずっと外の世界に憧れていました。「なんとかして外に出たい。外の世界を知りたい」という欲求が次第に高まり、17歳の時、とうとう乳母車に乗って一寸法師のように長い棒を櫂のように操りながら、家の周りを散歩するようになったのです。
目に映るさまざまな景色、肌に触れる空気、街の雑踏…何もかもがとても新鮮でした。

電動車いすで憧れのショッピングセンターへ

ある日、いつものように乳母車に乗って散歩していると、近所に仕事に来ていた方が声をかけてくれました。「私の弟も障がい者でうちに電動の車いすがある。よかったら来て乗ってみないか?」。私はその方の弟さんの家に行き、生まれて初めて簡易タイプのような電動車いすに試乗したのです。
その後、福祉サービスや制度についていろいろ教えてもらいながら、車いすを使える能力があるかどうか診断を受け、電動車いすを支給されました。
電動車いすで初めて行った場所は、ずっと行ってみたかった近所でも大きなショッピングセンター。乳母車では家の周囲を移動するのが精いっぱいで、踏切や国道を横切る自信はありませんでした。「到底、無理!!」とあきらめていただけに、とてもうれしかったです。

安定して故障のない今仙技研の電動車いす

乳母車から電動車いすに乗り換えたことで、余計な体力を使わなくなったせいか、体重が10kgも増えました。その時初めて試乗した電動車いすは、前タイヤがすぐにクルクルと回って安定感がないなどの動作に不安がありました。そこで、「もっと良い電動車いすがあるよ」と、今仙技研さんの製品を紹介されたのです。今仙技研さんのものは、初めて乗った時から体の一部のような安定感があり、私はすっかり虜になりました。扱い方もとても簡単で、すぐにスイスイ乗れるようになりました。
今仙技研さんの電動車いすに乗るようになって今年で32年目ですが、故障したことは一度もありません。長時間安心して乗れるので、とても満足しています。たまに電車に乗って名古屋へ食事に行くこともあり、ますます行動範囲が広がり、楽しみも増えました。

川で魚釣りを楽しむ

外出が好きな私は、冬の時期を除いて毎日朝9時半ごろに家を出ると午後3時ごろまで戻りません。買い物に行ったり、喫茶店で友だちと話をするのがとても楽しみなのです。
趣味は釣り。乳母車時代に釣りをしている人を見かけて、これなら自分にもできそうだと思い、見よう見まねでやり始めたらハマってしまい50年になります。近くの川には段差のないスロープがあり、そこを降りた所がポイント。電動車いすなので、楽々行き来できます。
獲物はもっぱらヘラブナですが、たまに大物が釣れることも。長さ67cmのマダカ(スズキの幼魚)がこれまでの最高です。

できないと思ってあきらめず、何事もチャレンジ

社会福祉協議会からの依頼で、30年前から小中学校の子どもたちの前で自分の生い立ちや障がいについて話をさせて頂いています。中には話を聞いて泣き出したり、後で感想をくれる子もいますし、子どものころに話を聞いた人が、「水野さんのお話を聞いてよかった」とおっしゃってくださることもあります。私の話が皆さんの心に届いたと思うと、とてもうれしいですね。
障がい者になる可能性はだれにでもあるものです。でも、そうなったとしても人生をあきらめず、チャレンジすることを忘れないでほしいです。

とても危険!! 歩きスマホはやめて!

スマホの普及とともに歩きスマホによる事故が多くなり、社会問題になっています。電動車いすユーザーにとっても、歩きスマホはとても危険。スマホの操作に夢中で、私が前にいても全く気づかず、ぶつかりそうになったことが何度もあります。歩きスマホは絶対にやめていただきたいです。

電動車いすで手に入れた
広い世界と自立生活

脳性マヒ/電動車いす歴30年/小島さま

7年前に自立し、週4日は事業所に勤務

7年前、実家を出てアパートで一人暮らしを始めました。火曜日から金曜日までの週4日は障害福祉サービス事業所に通勤。朝は6時30分にヘルパーさんが来てくれて、ご飯を食べて身支度を整えたら、7時50分に電動車いすに乗って一人で最寄りの駅に向かい、電車に乗ります。降車駅から事業所まではバスの送迎があります。
長年、電車を利用しているので、駅員さんたちとも友だちになりました。私が乗車する時間に合わせて、車いすごと電車に乗れるようにスロープを用意してくださるので、ありがたいです。

障害福祉サービス事業所でリサイクル班の班長を務める

事業所には電線班・リサイクル班・軍手班・千秋センター班・PSセンター班があり、私はリサイクル班の班長をしています。リサイクル班は施設の中心事業を担っており、空き缶、空きビンなどの廃棄物を独自のリサイクルシステムで選別、圧縮作業を行って資源業者に納品します。
勤務は9時30分から16時30分までで、途中に30分から1時間程度、数回に分けて休憩するようにしています。私の仕事は、モニターを見ながら機械を操作してスチール缶を圧縮する作業。班員は10人で、それぞれに役割がありますが、だれかが休んだ場合には私が代わりを務めることもあります。自分の分担だけでなく、作業全体の流れを見なければならないので大変ですが、責任とやりがいを感じています。

電動車いすで行きたい所に行ける楽しみ

私は1歳半で脳性マヒになりました。脱腸の手術の際、40度の高熱が出て、それが1カ月ほど続き、右半身がけいれん。マヒと言語障害が残ったため、障がい児の施設に入所し、訓練を受けました。入所先から養護学校に通い、中学3年生の時には股関節の手術をしました。
入所中は歩行器を使っていましたが、高校2年生の時、自宅に戻ったことを機に電動車いすに乗るようになりました。電動車いすは私の行動範囲を驚くほど広げてくれました。それまでは乗れなかった電車などの公共交通機関も利用できるようになり、自分の行きたい所に行けるようになったのです。
1台目はほかのメーカーのものを使っていましたが、今仙技研さんの製品を使うようになって、より安定感が増し、快適になりました。

休みの日は買い物に行ったり、近所に散歩にでかけたりしています。肉が好きなので、ヘルパーさんと一緒に焼き肉を食べにいくこともあります。事業所の仲間と一緒にサッカーの試合観戦に行ったり、友だちとユニバーサル・スタジオ・ジャパンに遊びに行ったり、事業所の一泊旅行にも参加しています。『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』などのアニメキャラクターのイベントやショーを見にいくのも、とても楽しいです。

メンテナンスを定期的に行うことで、より安全に

定期的にバッテリーやタイヤ交換等メンテナンスを行い、大切に使用しています。
より快適にするために、スマートフォンと懐中電灯の取り付けパーツも付けました。緊急時にスマホがすぐ使えると心強いですし、懐中電灯は夜道を照らしてくれるだけでなく、点灯することで私の存在を車や自転車、歩行者に知らせてくれるので安心です。
私の生活は本当に電動車いすと共にあり、自立して暮らしていくにはなくてはならないものです。これからも元気で働きながら、楽しく暮らしていきたいですね。

義肢・装具

スポーツ用義足を付けて、
陸上競技に挑戦!

下肢切断|義肢歴5年|村松さま

鉄骨に足を挟んで右膝下を切断

5年前、勤務先の工場で鉄骨を組み立てていた際、あやまって鉄骨を倒し、両脚を挟みました。左脚は手術で回復しましたが、右脚は術後の経過が悪く、膝の少し上から切断しました。勤め始めて2年目のことでした。

リハビリ用の義肢を付けて歩行練習

3カ月ほど入院した後、義肢を付けてリハビリを開始。長期入院のため体力が落ちており、最初は脚を上げるだけで大汗をかき、息も絶え絶え…。倒れそうで、一歩を踏み出すのに勇気が必要でした。

自分の合った義肢でライフスタイルが変化

体力が回復してリハビリ用の義肢にも慣れたころ、自分用にカスタマイズされた義肢を付けました。義肢装具士さんに「膝の部分に電子機器(注1)が付いていて、いろいろすごいんだよ!」と何度も言われたことを覚えています。その義肢の足部が今仙技研さんの部品でした。
今は寝る時と入浴時以外は、ほぼ付けっぱなしにしていますが、痛みはほとんどありません。倒れそうになるとロックがかかるので、安心して歩くことができます。先日も家族でUSJに行き、1日中歩き回りました。性能にはとても満足しています。欲を言えば、義肢のデザインがもう少しかっこよかったらいいのにと思うことはあります(笑)。

スポーツ用義足で陸上競技に挑戦

体を動かすことが好きで、中学時代は陸上の棒高跳びをやっていました。自己ベストは3m50cmです。その経験もあって、愛知県で義肢ユーザーのスポーツ参加をサポートしている「ミットライズ」(注2)に参加するようになりました。
スポーツ用義肢は「公益社団法人24時間テレビチャリティー委員会」で障がい者スポーツ支援の「スポーツ用義足贈呈事業」を行っていることを知り、応募したら、頂くことができました。スポーツ用の板バネは今仙技研さんが製造・開発されたもので、板バネの足裏に当たる部分にスパイク加工が施されています。スポーツ用は踏ん張りが効かないので初速は遅いのですが、バネがあるため、後半はスピードが出せます。パラリンピックのアスリートの100m走の最速記録は10秒57。かなり速いタイムですよね。ぼくの自己ベストは16秒90なのでまだまだですが、最初は50mで18秒だったので、かなり速くなりました。
毎週金曜日は三重県まで練習に行っています。20時スタートでストレッチした後、1時間ほど基礎練習を行い、残りの1時間で100mのタイムを計ります。普通の陸上選手と同じメニューをこなします。かなりハードです。陸上は全身の筋肉を使うため、筋力が落ちるとタイムも悪くなります。ぼくはジムに行ける時はジムで、行けない時は自宅で、常に筋トレしています。

パラリンピックに出る選手と競争したい

2018年9月、香川県高松市屋島競技場(屋島レクザムフィールド)で開催された「第29回日本パラ陸上競技選手権大会」に出場し、100mで2位になりましたが、納得のいかないタイムで不本意な結果に終わりました。1位は現役バリバリの高校生でしたが、ぼくも今23歳。まだ若いと思っているので(笑)、これからが伸び代だと思います。
2019年5月には愛知県でパラスポーツの大会があります。パラリンピックの代表選手が出場する大きな大会なので、自分がどのくらいのレベルにいるのか、一緒に走って体感したいです。陸上競技は家族も応援してくれているので、がんばりたいです。

新しい脚を付けて可能性に挑むことで毎日が楽しくなる

脚をなくしても、歩かなければ何も始まりません。脚をなくしても新しい脚を付けることができるので、どんなことでも「ちょっとやってみようかな」と思ったらやってみる。その一歩で、毎日が楽しくなると思います。

  • 注1)電子機器のついた義肢…他社製品の膝関節
  • 注2)ミットライズ…2014年に結成された、障がい者スポーツの広がりをめざす愛知県のアマチュアスポーツチーム。「松本義肢製作所」の社員が代表を務め、「今仙技術研究所」社員も参加している。
    MITRISE公式Facebookページ

義肢のおかげで、いろんな
ファッションが楽しめるように

骨肉腫|義肢歴9歳〜|吉田さま

骨肉腫により左脚を切断

8歳の時、骨肉腫のために左脚を切断しました。激しい痛みのために当時の記憶は定かではありませんが、腫瘍で脚が変形していたことは覚えています。膝の辺りに腫瘍があったのですが、病院から「足を上の方から切断すれば再発の心配がなくなる」と聞かされました。母はとても悩んで、手術を決断するまでに1年近くかかったそうです。ガンによって命の危険が迫っているとはいえ、娘が左脚を失うことは、親としてやりきれなかったのでしょう。
脚を切ったら痛みがなくなり、とても楽になりました。小学生だったので、1年間は休学して家庭教師をつけてもらって勉強し、進級しました。

さまざまな困難を乗り越えて、義肢とともに成長

義肢生活は、いろいろと大変でした。子どもだったので、どんどん身長が伸びるため、体が成長しても使えるよう、腰に巻いたベルトから義肢を吊り下げるタイプのものを使っていました。このタイプは歩く時に膝が曲がらないので、通学は大変でした。疲れるので長時間歩けないし、坂道で転んだこともありました。座る時はボタンを押すと膝が曲がるようになっていましたが、当然、自分の膝のようには動かないので不自由しました。一番困ったのがトイレです。そのころ小中学校には洋式トイレがなくて、ほとんどが和式。とても大変でした。
でも両親からは「できることは自分でしなさい」と、特別扱いをされたことはありませんでした。おかげで人に甘えることなく自立できたのだと感謝しています。

吸着式になって楽しめるようになったオシャレ

18歳の時、お世話になっている松本義肢製作所の先生から「そろそろ見た目の良い義肢に変えてはどうか」と言われ、今仙技研さんの部品が使われている吸着式タイプにしました。これは膝が動くので、慣れるまではよく転びました。
吸着式は、義肢を付けてバルブの穴から空気を抜き、間を真空状態にすることで体に密着させるものです。装着時は切断部分にベビーパウダーを付けますが、汗をかくと義肢が抜けやすくなってしまいます。また、太ったり瘦せたりして体型が変わると義肢が合わなくなるので、体重には気を付けています。
この義肢の良い点は、全体が肌に近い色のスポンジで覆われていて、より本物の脚に近いところ。腰ベルトがないので、フィット感のある洋服が着られるようになりました。ずっと履きたかったスカートや、2cmほどですがヒールのある靴を履けるなど、オシャレを楽しめることは、女性としてとてもうれしかったです。ロックバンドのコンサートに行ったり、タイトなラインの派手な服を着て、当時大人気だったディスコに行ったり、楽しいことがどんどん増えました。

20歳で就職し、現在も正社員として多忙な日々

短大卒業後は就職し、多忙な毎日。義肢は、入浴時と就寝時以外はずっと付けていますが、疲れがたまってくると時々はずすこともあります。

歩行や外出の際、身障者への配慮を

社内や家では使用しませんが、一般の道路を歩く時には歩行補助用の杖を使っています。歩行が困難なのではなく、杖を使用することで私に障がいがあることを周りに認知していただくためです。
身障者は健常者のように早く歩けないし、接触すればバランスが崩れ、すぐ転倒します。ですから杖をついて歩いている身障者を見かけたら、なるべく距離をとっていただけるとうれしいです。歩きスマホはとても危険なので、絶対にやめていただきたいです。
また、身障者用の駐車スペースに車を停めている健常者も時々見かけます。身障者用は広いので、私のようにドアを全開にしないと乗り降りしにくい者にとって、とても重宝するのです。普通の駐車場も、もう少しスペースが広いとありがたいですね。

海外旅行の際は、必ずネットで情報収集

ベトナムやグアム、ハワイなどを旅行しましたが、国によってバリアフリーに対する考え方はさまざま。義肢である私は空港の保安検査で必ずひっかかり、時には別室で身体検査を受けることも。海外旅行の際は、あらかじめ空港や観光スポットなどのセキュリティについても調べておくとよいと思います。
いつかスキューバダイビングなどもやってみたいですが、濡れると義肢が壊れてしまうのでトライできません。最近は地震や水害なども多いので、そんなとき自分はどうなるのか不安になります。水に濡れても錆びない義肢が開発されるとうれしいですね。


ニューヨークにて


ベトナムのハロン湾にて

歩行支援機 ACSIVE(アクシブ)

車いす生活から、自分の脚で歩けるように!
リハビリ感覚で海外旅行へでかけます。

66歳の時、脳出血を発症。昼寝して起きた時に右側の口手足が動かなくなっていた。声が出せない。孫からの電話で分かって、救急車で搬送。車いす生活を1年、家の周り20mしか動けない。一人で歩きたいと精力的にリハビリを行う。

長尾 秀記さま(74歳)

導入の経緯

2014年12月購入。テレビで『夢の扉+』を見て、HCRに参加。ACSIVEを試着したら軽く脚が上がったため「すげーいいなー」と感じて購入。

導入後の効果

毎月、リハビリを兼ねて旅行に行っています。ACSIVEは、使いこなさないと本当の良さが分からないと思います。バネが強いと膝が曲がって脚は上がるが、脚を地面に下ろす時に力が必要です(バネを弱くして使用)。自分で分かると調整が出来ます。
ACSIVEを付けていると長い距離が楽で安心。普通は、2~300mで諦めていました。心臓の心配をしながらですが、今は休みながら長い距離(1km)を歩けるようになりました。

ご感想

もっと歩ける。行動範囲が広がる。車いす→自分の脚で歩ける→もっと歩ける。より行動範囲が広がり、楽しいです。
海外旅行は、リハビリのつもりで行っています。階段や坂があっても行かないと仕方がない状況で訓練しています。
ACSIVEは装着感が低いので、近所に出る時、装着しているつもりで着けていないことが…。いつもより疲れるなと見てみると、忘れていたことに気が付きます。

奥様のコメント

以前は足元を見ながら歩いていました。見ていても不安でしたが、ACSIVEを使い始めて不自由な方の右脚が前に進み、歩く姿勢も良くなり、自信を持って歩いているように見えます。

歩くことで、麻痺した脚の筋力がアップ!
屋久杉を見に行くことが目標です。

54歳の時、脳出血を発症。
右半身に麻痺があります。

右半身麻痺|中武 学さま(60歳)

導入の経緯

2014年8月に放送されたテレビのドキュメンタリー番組『夢の扉+』を見て、購入しました。
58歳の時にACSIVEと出会い、現在もずっと使い続けています。

導入後の効果

使い始めた頃は、通勤でACSIVEを付けて毎日2キロの歩行をしていました。使い始めて、麻痺した方の脚に筋力がつきました。使用する前と使用して2カ月後では、太ももと膝上の一周の長さがどちらも3cmアップ。ふくらはぎは変化がありませんでした。膝が曲がることで、筋肉が付いたと思います。
使用前は麻痺側の膝が曲がらなかったのですが、ACSIVEを使うと膝が曲がり、麻痺側の脚に体重が乗せられるようになり、脚がより前に出るようになり、歩行のリズムを作れるようになりました。

ご感想

外を歩けることほど、気持ちがいいことはないと思います。ACSIVEは日常生活に欠かせないものになりました。現在は毎日、公園を歩いて訓練をしています。
今の希望は、元のように歩きたい、そして屋久島の屋久杉を見に行きたいと思っています。

3日間連続でゴルフが出来ました。

60才の時に脳梗塞を発症され右半身に麻痺があります。
サーフィン界ではレジェンドと言われているパイオニアサーファー。2年半前よりゴルフを始め、障害者ゴルフの大会にも参加されている。
(株)TED INTERNATIONAL

右半身麻痺|阿出川 輝雄さま(72歳)

ご感想

動かなかった右足が上がる。ゴルフで9ホール回っても足が疲れない。ACSIVEを使うと疲労度が違います。3日間連続でゴルフが出来ました。
座っている時に気にしなくても膝が外に開くのが抑えられ、良い姿勢になります。
立ち上がってすぐに歩き出せるので、電車から安心して降りられます。

歩行をアシストしてくれただけでなく、
人生そのものをアシストしてくれました。

27歳の時に交通事故に遭い脊椎に損傷を受ける。一生車いす生活を宣言されたが、懸命なリハビリに励み、歩けるようになりました。日本障害者ゴルフ協会(DGA)会員。

脊椎損傷|ユウスケさま(39歳)

ご感想

ACSIVEを装着していない時は、転倒しない様に常に意識をしなければならないが、ACSIVEを装着すると軽やかな一歩が踏み出せ、無意識に安定した歩行が出来ることで、気持ちが前向きになります。

ユウスケさんのACSIVEストーリー(YouTube)

その他のご使用者様の声

デパートとかに行く時にあるとラクチンに安心して出かけられます。
きちんと腰から歩いている感じがします。地面の感触がスポンジのように踏みしめる感じがしなかったが、着けると地面を踏んだ感じがして、本当に自分の脚できちんと立った感じ。脚がぶれると曲がりにくいのがなくなりました。重さは感じません。

脳梗塞|60代女性

楽に歩けます。一歩目の脚が出ます。ACSIVEがない生活は考えられません。ACSIVEがない外出は考えられません。
使用前は転んだことが何回もあるが、使用し始めてからは転んだことはありません。使用前は爪先を引きずるのでつまずいていたが、使用中は足が上がるからつまずかなくなりました。転ぶんじゃないかと身構えて、外に出歩かなくなるのが、ACSIVEを装着すると不安がなくなって外に出歩く気になります。

多発性硬化症|40代男性

使用感は、装着していないみたいに感じるほど、違和感がありません。
以前は、脚を腰で振り回して歩いていましたが、装着すると振り回しがなくなって、スムーズに脚が出ると実感しています。脳梗塞になって、正しい歩行を忘れて抜け落ちた感覚。正しい歩行を思い出すのに、ACSIVEが役に立っています。

脳梗塞|70代男性

すり足でつまずいていたが、ACSIVEを着けると膝が上がります。屋外に出る時は、ないと不自由で困る物になっています。

脊柱管狭窄症|80代男性

  • 効果の感じ方には個人差があります。
  • ACSIVEは医療機器ではありません。

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